今回は、子安美知子先生をご紹介します。
子安先生は、日本のシュタイナー教育の中心的存在であり、初めて日本にシュタイナー学校を紹介された「ミュンヘンの小学生」を始め多数の著作をお持ちで、現在は講演活動、「あしたの国」=モルゲンランド作り※にと、ご多忙な日々を過ごされております。
※「あしたの国」=モルゲンランド:千葉県茂原にルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィー(人智学)の社会思想の実践(経済には友愛を、政治には平等を、精神・文化には自由を!)のモデルとなるまち作りです。その概要は、シュタイナー学校(2008年開校予定)、障害を持つ子供並びに大人達の養育と仕事の場、バイオ・ダイナミック農場、劇場、セミナーハウス、そして成田,羽田空港から約60分の地の利を生かして、国際会議場迄を含む総合文化コミュニティーを作り上げて行く一大事業です。
子安 美知子先生
早稲田大学名誉教授
スイスに本部を置く普遍アントロポゾフィー協会・精神科学自由大学
・文芸部門日本代表
(株)ルドルフ・シュタイナー・モルゲンランド代表取締役
NPO法人あしたの国まちづくりの会 理事長
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鈴木:お忙しいところありがとうございます。今日は先生にお伺いしたことはたくさんあります。
私にとってシュタイナーは、ゲーテと並ぶドイツの二大巨匠という印象があるのですが、そのシュタイナーには二つの大きな特徴があると思います。まず、思想家というだけではなく、自身が類稀なる活動家であったという点が一つ。これはシュタイナーの死後、あらゆる分野で活動が継承され、発展されつづけているのですね。
もうひとつは、従来の神秘主義者の方たちは、不可視の領域の実在性に重きを置き過ぎていて、どうしても思考を軽視しがちであるのに対し、シュタイナーは「科学的・明晰な思考によってそれらを矯正していかなければ、内的な体験は病的、あるいは主観的になりすぎてしまう」という立場を取っている。だから内観的に得たインスピレーションを軽はずみに鵜呑みにせず、科学的思考の上にのせてとことん叩き上げていく。
その二つが際立った特徴であると認識しています。
子安先生(以下敬称略):そうおっしゃられると付け足すことが全くなくなってしまいますよ(笑)。私も机の上の勉強ばかりしていた人間。ゲーテも文学者として好きでした。そのゲーテを研究している学者の中にシュタイナーという人がいるということは知っていました。でも35年前にわが子が通いだした風変わりな学校の設立者シュタイナーが、ゲーテ研究者であるシュタイナーと同一人物だ、とは知らなかったんです。あの学者のシュタイナーがこんな学校作ったのって、私もびっくりました。
哲学や学問と、子供の教育なんていう具体的な実践をするのが同一人物とはね。
それと神秘主義というのは、いかがわしいと思っていた私なんですけれども、シュタイナーが、神智学から人智学に行ったということで安心しました。今でも神智学方向に偏る人はどこにもいますけれど、それは危険です。
鈴木:…..はい、私は少し偏りすぎる傾向があるので気をつけなければいけませんね。
ですがあえて、その神秘主義的な中からいくつかおうかがいいたします。まず不可視の領域についてなのでが、シュタイナーの実在認識能力は先天的なものなのか、後天的に自ら獲得していったものなのでしょうか?
子安:先天的だったと思います。ただ、誰もが自分にちょっとそんな力があると早飲み込みするのは危険だから、見える世界から論理を一歩一歩追っていくことで、危なげなく限界を踏み越えて、認識に到る、その道筋を示したのです。
彼自身、幼いときに、田舎の駅で見知らぬ女性が飛び込んできて、何事かをシュタイナーに言って、ストーブの中に入るのを見た、ということがあったそうです。翌日知ったところでは、現実のその女性はちょうどその時刻に、どこか近くで自殺をした人だったと。
そんな力を持っていたようです。長らく誰にも言わずにいたと書いています。
鈴木:シュタイナーの言葉の中で「魂は不可視の領域を直接知的に体験できるようになるんだ」と、その技法というものも、いろいろ示してありますね。それらはやはり、メディテーションを中心とした内側に訴えるものなのですか?
子安:ある段階からはメディテーションを薦めています。で、その前段階のエクササイズもいろいろありまして。有名な、6つのレッスンと言うのは具体的で取っつきやすく見えますから、簡単に紹介してみましょう。
第一レッスンは、毎日5分間くらい、ひとつのものをじっと見ることに意識を集中します。
その対象について思考を次々にめぐらせるのです。例えばこの紙コップなら、この形になる前の段階は、ここが開いていただろう、その前は大きな紙から切り取った、その前は、その前はノノと、逆順に思考を展開します。エンピツ一本とか、ハンカチ一枚、簡単な対象物を目の前にして、その同じモノを毎日5分たどっていく練習。それを一ヶ月やるわけですね。
今のは思考練習といいます。
第二のレッスンは、自分で決めたある時間に(これは秒針を気にする必要はありません)、自分で決めた何らかの行為をします。”日常生活とはなんの関係もない行為”を、です。花の水やりなんかだと、日常性があるんです。シュタイナーが例示したのは、右のものを左へ置いて、また右に戻すというような、日常的な意味のない行為です。大事なのは、何の行為をするかは自分で選ぶこと。人がこういうことをしたと聞いてまねたら、もう自分の創造ではなくなりますから。これは意思のレッスンです。行為内容に意味があるんじゃなくて、自分で決めた行為を自分で必ずするという意志力がレッスンのねらいです。
3ヶ月目には、感情のレッスンです。私たちの日頃には「わーうれしい!」と有頂天になったり、がくっと落ち込んだり、波立ちがありますね。この感情の波立ちを、出来る限り少なくする練習です。四六時中やって、日常人としてヘンになっては生けません。ただ、一日一度は「波立ちをやりすごそう」という意識をしっかり持つ練習なんです。
四ヶ月目は、ポジティビズムといいまして、どんなにネガティブな事柄の中にもプラスを見出すレッスン。聖書の例でいうと、イエス・キリストが弟子たちと歩いていて、惨死した犬の屍骸を目にしたときのこと。弟子たちは「おーむごい、」と目を背けた。、一人イエスは「見なさい、何と美しい歯並みだ」と言った。自分が打ちのめされるようなひどい事柄の中に、一点でもプラスを見出す練習です。
5ヶ月目、「私のなかを白紙にする」練習です。「ああ、それは知っている」「もう聞いたよ」と自分を、「知らなかった」「初めて聞いた」と虚心になるエクササイズです。誰かが飛び込んできて、「そこの教会の塔が傾いている」といったとしたら、「バカなことを」と思わずに、腰をあげて塔を見に行く。
それぞれ一ヶ月のレッスンを続けるごとに、シュタイナーは、体のどこら辺に熱を感じるなどの細かい効果を示唆しています。
で、6ヶ月目は、今までの5つをバランスよく組み合わせて練習することになります。これがメディテーションの前段階での練習ですけれど、やり始めると、じつはなかなか難しいです。
私なんか、最初はもう20年も前に面白そうだと思って好奇心で始めたんです。でも最初の一ヶ月の課題だって、早々と挫折。なんとかつないで、2ヶ月目にはいるけれども、これもどこかでウヤムヤに。3ヶ月目の中途あたりで、だめだ、私って、となる。しばらく投げ出し、中断状態。ふとまた何かのきっかけで振り出しからやり直すノノ。そうやって20年以上過ぎて来ているんですけど、どれも繰り返し手をつけはしたものの、未だに6つのレッスンをやりおおせたとは、とても自信もってなんか言えません。ただ、このエクササイズにまるで無関心だったとしたときの自分を想像すると、少しずつでも身につけようと努めている自分は長い時間のあいだに多少でも人間が変 わってきてはいるのではないか、と思えます。
それに、前段階と言いましたが、これを完全にできてでなきゃメディテーションをするなというわけではありません。メディテーションにしても前練習にしても、完璧にやりとおせたかとうかではなくて、とにかく取り掛かってみるということに意味がある気がします。
鈴木:言い方をかえると、魂の癖を取る、矯正していくみたいなものでしょうか?
子安:そう、魂の癖を取る、って、とてもふさわしい表現ですね。一日が終わって夜寝る前に、その日の回顧をする習慣づけもあります。長くなくていいのですが、逆回転で思い起こす練習。または、一日の中に軋轢のあった人間がいたとします。その人を思い出して、自分を向こう側の人間に成り代わらせる練習。相手から見た自分がどんなだったか? センチメンタルに反省するとかではなく、「あの人から見た子安美知子はノノ」を事実に即してマナイタに乗せる。「あの思い上がった態度!」とか、見直してみる。いろんな練習のほんの一例ですけれど、それで魂の癖を取っていくわけです。
鈴木:シュタイナーの凄いところは心理的メソッドだけではなくて、「オイリュトミー」のような身体技法、体を動かしながら精神との調和をさせていくメソッドを用いている点があると思うのですが。
子安:オイリュトミーは言ってみれば魂の体操です。
例えばまっすぐになりましょう、両方の手を水平に持ち上げてノノと言われると、私たちは鏡で確認しようとします。でも、鏡を見てはいけない、といわれるのですね。
あなた自身の意識を鏡にしなさい。意識が水平になっていれば、体も水平になるはず。
いわゆる障害者もオイリュトミーをしますけれど、身体に障害のある人だと水平になるといっても、目に見える体は斜めかもしれません。でもその人の意識が水平であればオイリュトミーの先生はちゃんと見ます。それで、健常者が一生懸命鏡を見てやるのと、どちらが意識を水平にできているかも分かるんです。意識が手先で途切れていれば先生は「あなたの直線、ここで切れています。直線はどこまでも続いているはずなのに」とかも。そういう意識が大事なんですね。
鈴木:この間先生のビデオを拝見させていただきました。それで今日先生からお話を伺うのはとてもタイムリーだと思ったのですが、ビデオの中でシュタイナー教育の原点は障害者教育だと先生は仰っていましたが、僕は近々仲間と障害者に対して手技療法を展開していこうと考えているんです。
これは言ってみると僕の治療家としての魂の願いなんですね。運動系を改善することによって、自律神経系の働き、内臓の働きがよくなり精神の調和が現れて来る。それが一番適応できるのは障害者だと思うのです。
障害者の方たちの訓練や授業内容を見学させていただくと、自分で体を動かすリトミックやトレーナーとともに行う遊戯的運動、またはメンタルな面から行うメソッド。ほとんどのものがその肉体と精神の2つの面から行います。ですがいくら調べても骨格や筋肉をきちんと観て他動的に矯正していくメソッドが皆無なんです。僕たち体を整える専門家からみて、手つかずであるそこの領域にとても可能性を感じます。
先日授業を拝見させていただいたリトミックの先生が、こないだまでべたべた歩いていたのに、足首がたってきた(アキレス腱の発達)。お箸を使う親指が良く動くようになったと仰っていたのですが、僕たち治療家にとって、アキレス腱や親指というのは、それぞれ脳を緩める時に使う部位なんですね。脳に対するアプローチを行う時にアキレス腱や親指を使います。そしてダイレクトに首~頭蓋骨の操作をするのです。
そこが障害児達の特有の動きとイコールコンディションとして僕の目には映るのです。
僕はわくわくして仕方がありません。
先生はシュタイナー教育と障害者についてはどう思われますか?
子安:私の失敗談を申し上げます。娘があの学校に行っていて、私たちが帰国するとき、娘はそのままドイツに残ることになりました。娘を預かることになった家庭のお母さんがシュタイナー障害児学校の先生だったんです。私、その学校に訪ねていって、もう今口にするのも恥じることを言ってしまったんです。「うちの娘は今まで幸せすぎて、身近に不幸な子供と接したことがないから、ここの子どもたちと接しられるのはとてもありがたいわ」なんてことをです。先生はきょとんとして「この子たち、幸福なのよ」って仰った。22~3年前ですけれども、なんていう言葉を自分は言ってしまったのか、がーんと気づいて愕然としました。つまり障害を持っている子を「不幸せな子供」と言ってしまった。で、それがきっかけで私のその意識は壊れました。
あの学校の先生たちは障害者の子供たちを「何度も生まれ変わりを繰り返していく中で次の人生を敢えて障害者として生きようようと自分から選んで地上に降りることがあるのだ。そうやって生まれたときの人生は、健常体に宿って生まれたときとは違う、飛躍的な発展をする。歴史上で偉大な仕事を残した人などは、その前とかもっと前の地上人生で障害者の人生を歩んでいたかもしれないぐらいだ、っていう話も聞きました。
それくらい大事な認識で障害者に対しますと、「かわいそうで助けてあげる」のではなく、「自分は体がたまたま自由だけれど、人間の一番核になる自我は、はこの子の方がずっと上にある」と見て臨むことになる。「私はこの子と一緒にこの仕事をしているおかげでこういう交流が出来る」という意識で働いているので、悲壮感もなければ自己犠牲もない。
明るく相互交流しているのですね。日本に帰ってきてからの通常の障害者施設と、そういうところの空気とは、まるで違うと感じました。
鈴木:素晴らしいですね。以前、僕はあるセラピストの方が重度自閉症の子供と、弦楽器を介してコミュニケーションを始めたという本を読みました。その本によると、会話を始めてみると、重度自閉症で殻に閉じこもっていた子供は叡智の塊だったというのですね。壮大な宇宙の成り立ちから生命の根源など、すべて弦楽器を介して語るというのです。僕の中ではそれは大きな衝撃でした。結論は先生の仰ることと同じでした。崇高な魂がスタディとして、経験のために不自由な体に入るのだというのです。
障害者の方を見る目がガラっと変わりました。また、僕の整体の修行時代の師匠が、よく小児麻痺の子供を診ていたんです。縮こまった体が開いていくのを僕は何度も見ました。体には可能性があるのです。
子安:ぜひ先生、そのお仕事をなさってください。素晴らしい。わくわくします。
鈴木:ありがとうございます。次に、シュタイナー教育そのものについてお伺いしたいのですけれど、宗教学者の鎌田東二さんが何かで書かれていたのですが、人間が赤ちゃんとして生まれて人間として熟成し、役割を終えてあの世に旅立っていく。向こうへ赤ちゃんとして生まれ、向こうで熟成し、またこちらで赤ちゃんとして生まれてくる。翁と赤子は同一であると。
僕はシュタイナー教育に同じ匂いを感じ取ります。一般にシュターナー教育というと、自由で、個人を尊重し、個を伸ばすというように思うのですが、例えば学校の年毎に教室の色・形が違う。形状や色彩、そこから発されるバイブレーションによって、またオイリュトミーのような体育、あるいは芸術を媒体として、生まれた時に忘れてしまった霊的思考というのでしょうか。それを知的志向に顕在させながら目覚めさせていくのがシュタイナー教育の本質じゃないかと思うのですが。
子安:私たちが生まれたり死んだりすることはつまり、この世で生まれるときあの世で死ぬ。この世で死んだらあの世で生まれる。そういうことの繰り返しですね。で、地上に生まれたとき直ちに完全な地上人になっているわけではなく、だいたい20年、かけて地上に受肉すると言います。「成人する」ということですね。で、受肉には、大きく3つの段階を経ます。歯が生え変わるまでのおよそ7年間。思春期が始まるまでの7年間。
この世の生活にきちんと慣れるための7年間。そこを健全にそれぞれ受肉させていくときに、論理思考とか数式を使ったりすることは、今言った3つめの最終段階のところで本当に教育する必要がでてくるんですけれども、それ以前の特に真ん中の、日本で言えば小学時代では、後に代数の法則とか幾何学の定理になるようなことも、この時期は芸術体験で感じ取っていく。その上で、思春期以降の論理になっていく。
ですから、掛け算の基礎になる九九は、まず丸い円を描きます。二の段をたどると五角形、三の段はギザギザの歯車、四の段だと見事な五星形ができて、子どもたちはよろこびます。
最小公倍数には体を動かしますよ、たとえば二の段の時に手を打ってね。あなたは三の段で打ちましょうねといいながら、リズムを刻んでいく。全員が重なったところが最小公倍数になるわけですね。ひとりだけで叩くところは素数ってわけです。そんな体の動きだとか、クレヨンで描いた絵だとか、芸術体験として覚える。文法も同じです。受身と能動だとかね。先生が大きな画用紙を出して、赤色をうわーっと大きく塗るんですね。青いクレヨンでそれを周囲から受けとめる。赤のところに先生が能動と書く、青のところに受身、と。未来形、現在、過去形、も同じように絵を描きます。概念的なことを、小学校時代には体の動きと色とで経験しておくのです。
学校へあがる以前の、歯が抜け替わるところまでというのは、五感の健全な発育。
生まれたての赤ちゃんに添加物たっぷりの食事を与えないように、音も、マイクやスピーカーを通すのではなく、お母さんが直接歌ってあげる。嗅覚も。着る物も、赤ちゃんに化繊の物は着せませんね。そうしたら、お母さんも洗いざらしの木綿を着る。この世に触れる五感を健全に目覚めさせる。それ以外は幼児期にとくに教え込むことはなにもないぐらいです。最初の五感のところが健全に育っていないと大人になってからの行動力、意志力に影響するんです。次の段階の芸術性で育つときに、早めに何か物理の公式みたいなものを教え込んだりしちゃうと、感受性の弱い人間になってしまう。この2段階をちゃんとしておけば、思春期以後は難しい学問的な勉強をして構いません。
鈴木:農業もホメオパシーのような医学も、波動を重視していてるのですね。
子安:宇宙からの波動ですね。それとリズム。波動やリズムには対極性、高進性というものがある。人間の呼吸や生活にもにもリズムがある。居住空間での直線的なもの、円形的なものの対極性。
面白いのは、5年生くらいで幾何が始まる時に、教室を見渡して、直線はどこにある?曲線はどこに? と探していく。生徒たちが賑やかに、「窓枠!」「花瓶!」と一通り発見し終わると、先生は「じゃあ、世の中が直線だけだったらどうなるだろう?」と訊く。世の中はまっすぐと丸味が両方なければ成り立たない、なんて話から幾何が始まるんです。
家に帰ったら、自分の部屋はまっすぐと丸とどちらが多いか探してごらん、という宿題が出たり。あかちゃんの部屋はまるいものが多いようだ、お父さんの仕事部屋は直線が多いようだ、とか面白い発見ができます。
シュタイナー学校の校舎を歩くと、一年生の教室は丸みがまさって、天井がアーチ型、黒板の角もゆるい丸みがついている。6年生7年生になると鋭角が入ってくる。なぜかというと、思春期の子供たちは一度魂がグニャリと重くなる傾向があるので、支えが必要だ、そんな配慮で直線的にそびえるようなラインを配します。色もね。小さい子どもには周囲から包んであげる丸い形にピンクなどの暖色系。次第にオレンジにうつり、黄色にうつり、緑に移る。
緑は地上に着床していく色です。思考が出てくると、青になり、紫になって、さらに高進して赤になる。
これはゲーテの色彩論なわけですが。光の色、闇の色が対極にあって、光の側から黄色を高進させていくとオレンジ色高まり、もっと高進していくと赤になる。黄色と青が下で合流すると緑になる。黄色から上に行くとオレンジ色で、下に行くと緑。そこから黄色を脱して青になる。青が高進して、赤と結びついて紫になる。子供は真っ赤な天国からおりて、緑の地上に足を据えて、鋭い思考力の青に向け、そこから自立すると上にのぼって再び赤に。でも最初の赤ではなく、一回りして完全に自立した赤。
鈴木:宇宙の構造と同じ螺旋=スパイラルなのですね。伊藤君はこれから子供が幼稚園児になるという父だけど、どう思う?
伊藤:はい。例えば一点だけを切り取って理解しようというのは間違いであると先生ご自身で書かれていましたね。私も3年前に親になりまして、今はこういった仕事でクライアントの方と接したり、今度は整体の学校の講師として人と接するようになりました。人に教えなければいけない立場になっってしまったのです。
シュタイナーの中だけはなく、子安先生は先生という立場を長きに渡りお持ちですが、アドバイスをいただけませんか?
子安:私自身が、こりゃ、いけないと思ったことがいくつかあります。私は教育ママでした。娘がこの学校に入って、最初の6週間、毎日ドイツ語の授業ばかり。エポック授業といって、同じ科目を数週間続けるんです。7週目に算数エポックになったら、算数ばかり。せっかく集中して覚えたドイツ語を忘れてしまう、と心配して先生に、家で少し教えておきましょうか、って相談しました。先生がそのときにっこりうなずいて、「その忘れるってことが大事なんですよ。あれだけ集中して学んだものは」って言われたのは、カルチャーショックでしたねしょうね。父母会でもよく出る質問でした。
忘れていいのかってこと。その後の長い年月で、シュタイナーの人間観から少しずつ納得がいくようになりましたけど。
私自身、授業中に黒板を叩いては「忘れないでね!」 と叫ぶ教師でしたから、これは頭を殴られる出来事でした。それ以後も「忘れないで」を止めることはできないながら、言う回数が減ってきたのは事実です。シュタイナー学校の先生が書いた本に、「教師たるもの、今生徒の前で語っているすべてのことは必ずや忘れ去られる運命にあると自覚せよ」とありました。で、「忘れ去られた後に何が残るか。何がその子の力になるかを考えよう」というのね。
食べるものも、にんじんが大事だってことで、よく噛んで食べますね。そのにんじんが、体のどこに入り込んだかわからないぐらいかみ砕く。すると入り込んだものは、いつのまにか「ちから」になってしまっている。そんなふうに、知識というものは集中授業の中で、毎日毎日物理の実験をして公式を導き出して・・・といったそのこと自体は忘れてよろしい。
でも、集中して事柄に取り組んだ力が人間を育てている、というわけなんですね。
こう話していて、教師としての私が一朝一夕で変わったわけではありませんけれど、ただ自分の中で、単に忘れるなというのは無意味なんだとか、こうやってがんがん教えていても、ドイツ語なんか忘れちゃうんだろうなと思ったとき、わびしい気持ちにならないで、それでもこの学生たちと共に経験した授業というもので、何かが残るんだろうな、と。何も残らない授業だったら私が至らなかったわけだ、と時々振り返りながら授業を続けた40年でした。いろいろな学生との縁も続いておりますし、変わった先生だと思われたらしいですが、そのことに私は幸せを覚えています。
新野:拝見させていただいたビデオの中で、健常者と障害者が一緒に暮らしている血縁を越えた家族の形がありました。シュタイナーは身障者との暮らしが私達の意識の向上を助けてくれると言っていましたが、これからの家族の形はどのよう変化していくのでしょうか?
子安:家族ならざる家族を形成していたのは、健常者と障害者の家族でしたね。自立した人間同士は必ずしも共同生活が強制されているわけではありません。一人であることも凄く大事だし、孤独な時間も重要です。人と繋がることも。大事なのは繋がりの中身。ずっと昔、繋がりの特徴は血縁でした。それから国や民族といった土地の縁。
これからの時代はそのどちらからも脱していく。血や地に縛られた縁から脱して、人の意識が共有できる時代になる。長いスパンでの歴史進行においてですけれども。19世紀末くらいからそういう時代に入ってきていると言われています。地や血に縛られると戦争や殺し合いが起きてしまう。意識の共同体であれば、ここにいる自分とニュージーランドにいる誰かは、意識としては一緒だけれど体が一緒にいる必要はない。障害者とは、その場での交流が必要だから、一緒に住むのですね。本物の家族ではない家族作りがそこでは目指されている。親御さんたちは離れた土地にいて、子供をそこに預けるなどして。
鈴木:今先生が仰った「血」と「地」と「知」の3つの「ち」ですね。私は別のところできいたことがあります。それも発祥はシュタイナー哲学からなんでしょうか?
子安:日本語で言うと3つとも「ち」なのですね。それは面白い。いいヒントです。
知性と知能指数的な知と区別する必要がありますね。知能の方は下手すると悪になりうるわけですね。自然科学・技術オンリーになって原爆やへんちくりんなものを見つけていく知能は、一方で悪になり得ます。でも、知性・知識は感性、魂の力に健全に裏打ちされていれば、一面的な知能犯的なものにはなりませんから。
鈴木:僕たちの仕事は、例えば医師と違い、血液やレントゲンを読み解くわけではありません。自分の主観に基づいて好不調を判断し、適切な施術をしていくという特徴があります。そこにはどうしてもセンスのいい人そうではない人という差が生じます。
センスのいい人は自分の感性を頼りに、文字通りセンスのいい施術を行うのですが、そこに危険が伴います。感性だけに頼ると自分の好不調、好き嫌い、などいろいろな自己的要因でばらつきが大きくなり、ある程度から先の成長は止まってしまいます。
一方、あまりセンスの良くない人は、どうしても理論、理性的に体を読み解いて行こうとします。ですが机上の勉強だけに偏ってしまうと、現場の運動神経が鈍くなります。変化やイレギュラーに適応できないのです。
結局は理性、感性どちらに偏ってもダメなんですね。理性と感性という対局性をパラレルに進行させていく。その到達点に悟性がある。そこを目指し私たちは日々精進していかなければならないのだと思っています。そういうことをスタッフにも、自分にも課しています。インスピレーションを鵜呑みにせずに、科学的思考の叩き台の上で充分に叩いて真理を導きだしていこうとするシュタイナー哲学に共感できるところがそこなのです。
子安:まったくおんなじです。私も年の功で人様に何かを教えたりする場面でも、自分自身のまだもうちょっとましになっていきたいという面でも、難しい。やはり精進なんですよね。日々の精進て簡単に言ってしまうけれども、それしかないんですよね。
精進って、薄皮がはげていく程度にしかできないですけど、ときに薄皮のはげていく段階が飛躍というほどでもないけれど、ちょっと飛び越えていく感じになることも無きにしも非ずだから、その点に希望をこめてやっていくしかないんじゃないかなぁ。
鈴木:現在子供を巡る状況が悪いこともありますが、シュタイナー運動がきちんと拡がればいいなと思いす。現在はフリースクール扱いになってしまうようですが、子供の教育は絶対に大事なことだと思います。
伊藤:もう一ついいでしょうか。エンデが演劇の舞台や政治家のひとを招いて語らったところで友愛の経済という言葉を伺って感動したのですが。政治家の方でこのようなことに興味をお持ちの方はいらっしゃるんですか?
子安:政治家にもいますね。私たちの学校づくり運動してますと、イヤでも会いに行く必要がありまして。7~8年前ですか、ある著名な政治家がシュタイナーのことを訊きたいからということでね。メモを取りながら、非常にきちんと話をきいてくれた。
ドイツから学校連盟の方が見えたときも会ってくれました。自分も代議士という仕事を持ったからには任期中に教育の面で何かひとつ良いことをしたいんと言われましたが。生臭い政治に巻き込まれて、ここのところは疎遠ですね。文部大臣だった頃の森山真由美さんは同窓の先輩にあたりまして、ご挨拶に伺ったことがあります。娘さんが公立小学校の先生で、シュタイナーのこともご存知で、「日本にもひとつくらいあったほうがいい」と仰ってくださいましたね。それと、千葉でやりますので、堂本知事にも2,3度お会いして、関心もっていただいています。県会議員や町会議員の方々との多少の人脈もあります。
伊藤:シュタイナーハウスにお見えになるんですか?
子安:いや、お忙しいですからシュタイナーハウスまではいらっしゃいません。秘書の方に連絡して時間調整して・・・というプロセスですから、時間がかかります。政治家でないレベルでは、渡辺貞夫、内館牧子、香山リカ・・・月に一回のある審議会で会ったりするから、いずれその時によろしくっていうことはお願いしています。
鈴木:今先生が活動なさっている学校のことを教えていただけますか。
子安:シュタイナー学校って言うのは今から19年前に1年生8人だけで始めた「東京シュタイナーシューレ」が第一号です。これが徐々に成長し、場所も何度か引っ越して、昨年神奈川県の藤野町で、構造改革特区での学校法人になりました。最初にその学校を始めた私たち十数人は、現在の文部科学省認可の学校法人にしようというので、10年ほど前から場所を探し始めて、90年代に東京都町田市で何箇所かの話に取り組みました。でも土地だけでもとても手のでない値段で、頭をかかえていた時に、伊藤忠商事から千葉の長南町の話が発生したんです。21万坪の山林込みの土地を何か意味のあることに使ってほしいという話。ヨーロッパに視察にお連れしたりして、この話が決まりました。土地だけでは格安の値段でよろこびましたけど、じつは開発のお金で今、四苦八苦しています。
学校自体は1万坪で学校法人の条件を満たします。町田とこちらでは土地代は比較にならない安さです(笑)。でも開発費に5~6億かかります。じゃ、学校分だけの土地1万坪にして1/20の値段で売ってください、とはいきません。そこで私たち学校だけでない総合的なまちづくりにかかることにしたんです。農業と、障害者と共にくらせる仕事場や住居、老人ホーム、国際会議場とか。成田からも羽田からも車で1時間という位置にありますから。
シュタイナー学校は世界で900校くらいありますし、関連施設を含めた共同村も国際的にいくつかできています。国際的に支援してもらったり彼らを呼び込むためにも地の利は有り難い。もちろん一度には無理なので、学校から始めます。2008年開校予定で、県庁や文部科学省との折衝も大詰めにきております。
鈴木:千葉のどちらなんですか?
子安:千葉の茂原市に隣接する長南町というところなんですね。もとは伊藤忠商事がその土地に住宅をたくさん作る予定だったそうです。伊藤忠の責任者との初対面の席で、私、この話が現実化するとは思えずに自由勝手なことを口にしちゃいました。商社さんなんて諸悪の根源でしょ、って。すると、あちらが「その通り」って応じたんで、私、調子に乗って、天下の伊藤忠さんだもの。ここで文化的に歴史に残るような決断をなさったら、って申しあげた。また「その通り」って答えが返って、ではヨーロッパで活動しているシュタイナー村を見てくださいよ、とお連れすることになりました。
その結果、乗り気、いや本気になられて、私もあまりひどいことは言わないように口を慎むようになりました(笑)。もちろんこの間にいろんな紆余曲折はありましたけど。
お金集めは両面作戦です。企業には1000万とか億単位でお願いしますけど、個人の方には一人一万円の「市民章」を持っていただく呼びかけをしています。地球規模で意識の共同体を広げたいんです。日本円なら1万円、外貨だったら100ドルか100ユーロで。「あしたの国」の名前をもらったミヒャエル・エンデの奥様に報告に行ったら、その場で1000ユーロ振り込んでくださいました。名前は伏せてくれということでしたけど。
今は内輪の呼びかけで600人程度ですが、できれば今年前半にでもメディアを通じて大々的に募集をかけられればなぁと思っています。その前にもう一度5月にドイツに行って、特にシュタイナー銀行のやりかたを学んでくる予定もあります。
私は鈴木先生のところへ伺うときはこういうことから離れて、ごくプライベートな市民として来て、身体の矯正をしていただき、老後をのんびり暮らしたいなんていう願いでいますのよ。帰りにアスレチックに寄ってヨガやサウナをして。私と同年のある企業トップの方にそんなことを漏らして、私もう悠々自適の老後にさせてほしいんですって言ったら、その方が仰有いました。いや、子安さん、夢を追い続けることがすなわち悠々自適なんですよって。まいったなぁ。ついこうやってお話してしまうと、みなさんからいいお言葉を頂くんだけど。本音のところでは本当しんどい(笑)!
しんどいんですよ。
鈴木:大丈夫です。お体のことは僕に任せてください!
子安:あぁ! それがきけてなによりです(笑)!
鈴木:こんな素晴らしい夢をお持ちなんですから!先生、まだまだですよ!!でも当初から比べて随分広がりが出てきましたね。
子安:私一番火急な問題は、世代交代なんです。私が先生から言われるでしょう、「この体はストレスですよ」「これはそうとうな過労ですよ」って。私その勢いで事務所に電話するんですよ。私今日も診てもらったけど・・・って。その電話をするたびに、若い世代の人がもうちょっと頑張ってやってるんですよ(笑)。どんどん頼もしい若い方が増えてきます。いかんせん私たちはまだ事務所も会社もほとんどがボランティアでやっています。でも、その人たちのやる気ってすごいですよ。もうちょっとで、私徐々に引っ込めそう。今、75歳の誕生日で定年、て宣言しています(笑)。
鈴木:まわりが先生を放してくださらないんじゃないですか(笑)。本当に今日はいろいろなお話をいただきましてありがとうございました。
子安:はい、こちらこそありがとうございました。楽しかったですよ、今日は。
「あしたの国」作りの理念にご賛同くださる方々へ…
「あしたの国」基金
<振込先>郵便振替 00190-6-389069
<口座名>「あしたの国」基金
一人/1万円(海外からのご参加は100米ドル、または100ユーロ)の募金をお願いいたします。